東京高等裁判所 昭和30年(ネ)565号 判決 1956年2月28日
控訴人 石川清
被控訴人 教安寺
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、被控訴代理人において、賃料支払の時期は毎月末日である、と述べた外、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
<立証省略>
理由
一、本件土地が被控訴人の所有であること、被控訴人が控訴人に対し右土地を普通建物所有の目的で期間の定めなく賃料を一ケ月金三十八円六十銭毎月末払の約定(賃料支払期については控訴人は明に争わないから自白したものとみなす)にて賃貸したこと、控訴人が本件地上に建物を建築所有していたが昭和二十年四月十五日該建物は戦災によつて焼失したことはいずれも当事者間に争いがない。右賃貸借の始期は原審における被告(控訴人)本人尋問の結果により昭和十四年と認める。この点に関する原審における原告(被控訴人)代表者野口幸進の供述は措信し難い。
二、ところで、被控訴人は「控訴人は昭和二十二年七月一日以降本件土地の賃料を支払わないので、被控訴人は昭和二十三年六月三日控訴人に対して同年六月三十日までの延滞賃料の支払を催告したが、控訴人はこれに応じないため、昭和二十七年八月十九日内容証明郵便を以つて控訴人に対して本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、右内容証明郵便は同月二十一日控訴人に到達したから本件賃貸借契約は同日を以つて解除された。」と主張し、控訴人が被控訴人の右主張の期間の賃料を支払わなかつたことは、控訴人も認めるところであるが、その支払をしなかつた事由について控訴人は「昭和二十二年七月一日以降被控訴人が請求した賃料については民法第五百三十六条の規定によつて控訴人はその支払義務がないものである(原判決事実摘示被告の抗弁(イ)参照)」と抗争するので、控訴人の右抗弁の当否について考える。
(一) 成立に争いのない甲第三号証の一ないし三、同第六号証、原審証人吉野宗一郎、当審証人樋口利嗣、石川亮の各証言を綜合すると、昭和二十一年八月二十六日川崎市に特別都市計画法による復興計画として区劃整理の施行が決定せられ、本件土地は、同年十月十日区劃整理区域に、次いで、昭和二十三年十月二十五日学校敷地に指定されたので、川崎市役所は本件土地の所有者である被控訴人にだけ昭和二十四年一月十八日、本件土地の使用を禁止する旨の通知をなし、昭和二十六年五月に本件土地の周囲に柵を作つて事実上使用禁止の措置をしたこと、然し、換地予定地の指定の通知は土地所有者には昭和二十七年十一月十五日、借地権者の控訴人には昭和二十八年八月八日になつてなされ、同時に正式に本件土地の使用禁止の通知をしたこと、換地の通知がこのように遅れたのは換地予定地を更地にすることに手間取つたためであつたこと、川崎市役所整地課長であつた石川亮は昭和二十二年夏頃控訴人に対し本件土地が学校敷地になる予定であるから家を建てないよう非公式に注意をしたこと、学校敷地に決定すれば通常は本建築の建物の建築許可はしない方針であることなどが認められる。右認定に反する証拠はすべて採用しない。
(二) ところで、控訴人は本件土地を普通建物所有の目的で賃借したのであるから、若し、本件土地に建物を建てられないとすれば、控訴人は本件土地を賃借した目的を達することができないわけである。そして、原審における被告(控訴人)本人尋問の結果によると、控訴人は叙上説明のように本件土地が使用できないものと考えて昭和二十二年七月一日以降の賃料支払を中止したものであることが認められる。
(三) そこではたして、叙上説示のような情況において控訴人が本件土地を建物所有の目的に使用することができず、従つて、賃貸人たる被控訴人が賃借人の控訴人をして本件土地を建物所有の目的で使用収益せしむべき債務を履行することができなかつたことが当事者双方の責に帰すべからざる事由によつて生じ、このため被控訴人は控訴人に賃料の支払を請求ができないものと断ずべきものであるかどうかを考えてみる。
特別都市計画法第十四条によると、換地予定地の指定の通知があつたときは、換地処分が効力を生ずるまで換地予定地の全部又は一部について従前の土地に存する権利の内容たる使用、収益と同じ使用、収益をなすことができるが、従前の土地についてはその使用をすることができない旨を規定している。従つて、控訴人は換地予定地の通知があるまでは法律上は従前の土地である本件土地を使用することができるのである。ところが、本件においては、川崎市の整地課長が控訴人に対して昭和二十二年夏頃本件土地が学校敷地になるから家を建てては困る旨を通知したこと、並びに川崎市役所は区劃整理で学校敷地に決定した土地については建築許可をしない方針であつたことは叙上説明のとおりであるから、控訴人において特別都市計画法の智識がなければ、本件土地は昭和二十二年夏以降は使用できないものと考えたのも一応無理からぬところであり、また、たとえ、控訴人が本件土地に家を建てても換地が決定すれば移転しなければならないわけであるから、控訴人としてはその頃から事実上本件土地を家屋所有の目的で使用することに支障を来したわけである。然しながら、川崎市役所整地課長が控訴人に対して本件土地に家を建てないよう注意したのは、特別都市計画法の規定と原審証人吉野宗一郎の証言により認められる後記の如き事実とから考えると、これは家を建てても近い将来換地の方へ移転しなければならないことを好意上注意した程度のものと認むべきであり、また、原審証人吉野宗一郎の証言によると、「川崎市としては区劃整理区域と指定され学校敷地に決定しても換地が決定するまでは従前の土地を使用されても已むを得ないことは承認しており、もし、従前の土地に建物を建てようとする者があれば何時移転を命ぜられても異存がない旨の誓約書を提出させて建築を許可していた。たとえ学校敷地に決定してもバラツクの建物は誓約書を徴して建築を認めていたこともあつた。」事実が認められる。
以上認定のとおりであるから本件土地は少くとも土地所有者である被控訴人に対して換地予定地の通知があつた昭和二十七年十一月十五日までは法律上は建物を建築することができたわけであり、また、建物を建てても近く移転しなければならないことを考慮して建物の建築は差し控えるとしても、少くとも一時他の用途に利用して使用収益をすることは勿論支障はないわけであるし、(尤も、川崎市役所は昭和二十六年五月頃本件土地に柵を作つて使用禁止の措置に出たことが当審証人樋口利嗣の証言によつて認められるけれども、これは本件において問題となつた期間後のことであるから右認定に影響はない)また、控訴人が川崎市役所と折衝を重ねれば少くともバラツク程度の建物は建てられたのであつて、その移転費等通常生ずる損害は特別都市計画法によつて補償されるのであるから、たとえ、右期間中、控訴人が建物所有の目的で賃借した本件土地を目的に副うた完全な使用、収益に支障があつたとしても、右程度の使用収益は不可能ではなかつたのである。このような場合に、賃貸人たる被控訴人において賃貸借契約上の債務を履行することができなかつたものとして被控訴人にその危険を転嫁して控訴人がその賃料の支払を拒み得るものと解するのは妥当ではないと考えられる。従つて、本件については控訴人主張のように民法第五百三十六条を適用する余地はない。
三、次に、控訴人はこのような事態において控訴人に対して本件土地の賃料を請求するのは権利の濫用であると主張するのでこの点について考えてみる。
控訴人は昭和二十二年夏頃本件土地が学校敷地となつたことを川崎市役所整地課長石川亮から聞いて本件土地は使用できないものと考えて地代の支払を差し控えたものであつて、その頃から控訴人は本件土地を建物所有の目的で完全に使用、収益することに支障のあつたことは叙上説明のとおりであるから、この間の賃料も支払わねばならないことについては控訴人が不満を感ずるであろうことは想像に難くないところではあるが、このような事態を生ずるに至つたのは本件土地に区劃整理が施行せられ、換地予定地を更地にするのに手間取つたため換地の指定が迅速に行われなかつたからであつて、全く、区劃整理によつて惹起された一時的な故障である。しかも、この間と雖も控訴人はある程度の使用、収益はできた筈であつた。一方、被控訴人にはこの点については何等の責任はないばかりか、固定資産税は依然支払わねばならないのであるから、これ等の事情を考えると、被控訴人が控訴人に対して本件土地の昭和二十二年七月一日以降の賃料の支払を請求するのを権利の濫用ということはできない。
四、そして、被控訴人が昭和二十三年六月三日控訴人に対して昭和二十二年七月一日以降昭和二十三年六月分までの賃料の支払を請求したことは原審における原告(被控訴人)本人尋問の結果によつて成立を認められる甲第四号証と右被控訴本人の右供述とによつて認められ、控訴人が右催告に係る賃料を支払わないこと、被控訴人が昭和二十七年八月十九日附内容証明郵便を以つて本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、右郵便が同月二十一日控訴人に到達したことは当事者間に争いがない。そして、右賃料の催告と契約解除の意思表示との間には相当の期間が経過したものと認めるのが相当であるから、本件賃貸借契約は昭和二十七年八月二十一日を以つて適法に解除されたものとする。(尤も、本件賃貸借契約の賃料は毎月末日払の約束であることは弁論の全趣旨に徴して争いのないところであるから、被控訴人が昭和二十三年六月三日催告に当り同月末日までの賃料を催告したのは同月四日以降の分については多大な催告となるわけであるが、弁論の全趣旨に徴すると、被控訴人は、もし、控訴人が昭和二十三年五月分までの賃料を提供したとしても、これを拒絶することなく受領したものと認められるから、控訴人が被控訴人の右催告に応じなかつたことは控訴人に不履行の責があるものとする。)
また、成立に争いのない乙第三号証の一、二によると、控訴人は本件土地の昭和二十二年七月以降昭和二十八年八月分までの賃料を昭和二十八年八月三十一日及び昭和二十九年四月八日に横浜地方法務局川崎出張所に弁済のため供託したことが認められるけれども、右各供託はいずれも契約解除の効力が生じた後になされたものであるから、その弁済供託の事実を以て前示契約解除の効力に何等影響を及ぼすものでない(またこの点を捉えて被控訴人の請求を信義則に反するものといいえないことは勿論である)。
五、従つて、控訴人の本件土地の賃借権は消滅したのであるが、控訴人は本件土地について賃借権を主張していることは弁論の全趣旨に徴して争ないところであるから、被控訴人は控訴人に対して控訴人が本件土地について賃借権を有しないことの確認を求める利益があるものとする。
然らば、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は相当であつて本件控訴は理由がない。
よつて、これを棄却すべきものとし、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 浜田潔夫 仁井田秀穂 伊藤顕信)